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ロベール1世 (ドルー伯) : ウィキペディア日本語版
ロベール1世 (ドルー伯)[ろべーる1せい]

ロベール1世・ド・ドルーRobert Ier de Dreux、1125年頃 - 1188年10月11日Robert Ier de Dreux sur le site de la ''Fondation pour le généalogie médiévale'' 〕)は、フランス王子、ドルー伯。ルイ肥満王と王妃アデル・ド・モーリエンヌの五男。
1152年、父王よりアパナージュとしてドルー伯領を得た。
1145年、アルヴィズ・デヴルーとの2度目の結婚によってペルシュ伯領を得た。1152年のアニェス・ド・ボードモンとの3度目の結婚では、ブレーヌ伯領、フェール・アン・タルドノワ、アルシー、ネール、ロングヴィル、カンシー・スー・ル・モン、サヴィニー・シュラルドル、ボードモン、トルシー、シェイー・アン・ブリー、ロンジュモーを獲得し、ブリー=コント=ロベール領主となった。
1147年、兄ルイ7世とともに十字軍に参加し、1148年のダマスカス包囲戦の失敗にも加わっていた。十字軍終了前にロベールは帰国し、王権を奪うことを望んで兄ルイに対する陰謀を図った。しかし、彼の行動は、王の不在時に王国の摂政を務めていたサン=ドニ修道院院長シュジェールによって阻止された〔François Combes ''L'abbé Suger: Histoire de son ministère et de sa régence'' 1853, 494 et suivantes〕。
イングランド無政府時代には、彼はイングランド勢と戦い、1154年にはノルマンディーのセーに本営を構えていた。
ロベールは1188年に亡くなり、サン・イヴ・ド・ブレーヌ修道院の教会に埋葬された。1180年、ロベールはドルーの町に自治憲章を与え、ブリー=コント=ロベールの町をつくった(コント=ロベールとはロベール伯爵を意味する)。
==子女==
1140年にアニェス・ド・ギャルランと結婚〔Jean François Paul de Gondi de Retz ''Mémoires'' 1876, 171〕。1子をもうけた。
*シモン(1141年-1182年)
1144年、ソールズベリー伯の娘アルヴィズと結婚。1子をもうけた
*アリスまたはアリックス(1145年-1210年以降死去)
1152年、ブレーヌ伯の娘アニェス・ド・ボードモンと結婚。10子をもうけた。
*ロベール(1154年-1218年) - ドルー伯
*アンリ(1155年-1199年) - オルレアン司教
*アリックス(1156年-1217年) - クーシー領主ラウル1世と結婚
*フィリップ(1158年-1217年) - ボーヴェ司教
*イザボー(1160年-1239年) - ブロワ領主ユーグ3世と結婚
*ピエール(1161年-1186年) - ブコンヴィル・ヴォークレール領主
*ギヨーム(1163年-1189年) - ブリー=コント=ロベール領主〔http://www.heraldique-europeenne.org/Genealogies/Genealogie_Capetienne/Dreux.htm〕
*ジャン(1164年-1189年)
*マミリー(1166年-1200年) - 修道女
*マルグリット(1167年-?) - 修道女

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ロベール1世 (ドルー伯)」の詳細全文を読む



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